紅書房について
紅書房の本
紅書房は、1985年設立以来、企画・依頼出版合わせて約270余冊の本を出版しています。その内容は、俳句集、俳句評論集、俳句観賞本、歳時記、短歌集、古典文学関連本、川柳歌謡鑑賞本、詩集、小説集、随筆集、漢詩本など。また「鬼編集長」として名高い大久保房男氏の文芸編集者ものも7冊の既刊を揃え、いずれも各方面に好評を頂いております。
会社概要
- 会社名
- 紅書房(べにしょぼう)
- 代 表
- 菊池洋子
- 住 所
- 〒170-0013 東京都豊島区東池袋5-52-4-303
- TEL/FAX
- TEL:03-3983-3848/FAX:03-3983-5004
- 設 立
- 1985年10月
- 出版分野
- 文芸全般(俳句、短歌、古典文学、川柳、詩集、随筆、漢詩、小説)、写真、法律、社会等
紅書房のあゆみ
1985年 | 1985年10月、東京池袋のサンシャインビル近くの小さなマンションの一室を借り、菊池洋子が自分の目と手によって成し得る出版の可能性を夢に、ささやかながら旗上げしました。 同年11月に記念すべき第1冊目を刊行。独立を応援して下さった俳人で漆芸家でもある上村占魚(うえむらせんぎょ)先生(1920−1996年)の句集『山旅抄』(紅叢書)を皮切りに、句集、歌集の出版希望を募り、作品集を作製、幸いスタートから多忙な日々が続きました。 |
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1986年 | 1986年4月より、出版物の案内や書評を紹介するため、「紅通信」(B6判変型2つ折冊子)を発行。巻頭には各界で活躍の方より好エッセイを頂く。随時発行し、2013年4月現在までに第70号に至ります。 1986年10月、やはり独立を奨めて下さった写真家の藤森武(ふじもりたけし)氏が、孤高の画家といわれた熊谷守一(くまがいもりかず)のくらしぶりを撮影した『獨楽−ひとりたのしむ−熊谷守一の世界』(初版・講談社版絶版)を、装い新たに改訂版として刊行。守一ファンに喜ばれました。 |
1988年 |
1988年2月、齋藤茂吉の歌集『萬軍(ばんぐん)』を刊行。これは1945年にガリ版刷で僅かに世に出たまま、全集にも採り入れられていなかった歌集で、齋藤家のお許しを得て出版しました。茂吉ファンより、戦争への思いと重ね合わせながら、その時代性と茂吉の心の昴りを知り得る貴重な本として注目されました。またこの頃より文芸関係の出版社として少しずつ関係者に知られ、依頼書籍も増えてきました。 同年4月、純文学の世界では「鬼」と呼ばれている名編集長、大久保房男先生(1921−2014)の文藝評論集『文藝編集者はかく考える』を刊行。好評を得、現在までに4刷を重ねています。 |
1989年 | 1989年、宮城県塩竈市に住む俳人に佐藤鬼房(おにふさ)先生(1919−2002年)の第九句集『半跏坐(はんかざ)』を出版。先生の原稿を拝見すると硬質な詩性と土着性をはらんだ句が550句あり、A5判で1頁5句組を提案、装幀は岩手県出身、弘前在住の画家 村上善男先生に依頼し、斬新かつ瀟洒に出来あがりました。本書は、第5回日本現代詩歌文学館賞の栄誉に輝きます。以後村上先生には、第十句集『瀬頭』も装幀して頂き、こちらで先生は蛇笏賞を受賞されることになりました。 この頃より書房の助っ人として、姉の後藤紀子が、かつて児童書の編集に携っていた経験を生かし、装幀を中心に編集、校正、発送雑事などを手伝ってくれるようになり、現在に至ります。 |
1991年 | 1991年8月、大久保房男先生が書き下ろしの小説を書いていらっしゃるという話を伺い、是非出版させてほしいと依頼、『海のまつりごと』が誕生しました。この作品によって平成三年度藝術選奨文部大臣新人賞を受けられました。受賞のお祝いと称し、今までの文章指南のお返しに阿川弘之氏や遠藤周作氏、三浦朱門氏らが集まって、本書の文章に細やかなアドバイスをほどこされた話は、阿川弘之氏の随筆集『七十の手習ひ』のタイトルにもなって収録されているので、読まれた方も多いのではないでしょうか。 |
1993年 | 1993年5月、井上靖のかつての仕事妻といわれた白神喜美子(しらかみきみこ) 氏から、井上靖とのことを書いた原稿を病身の手より託され、『花過ぎ−井上靖覚え書』として刊行。ある時期の井上文学誕生には欠くことの出来ない白神氏の存在が世に知れて評判を呼びました。白神さんは長年の希いが叶えられた安堵もつかのま、同年12月、帰らぬ人となりました。 |
1994年 | 1994年6月、歌人で作家の尾崎左永子先生の『梁塵秘抄漂游』が完成。これは歌誌「運河」に毎月連載されていたもので、折々目を通していた私は、自分の手で本にすることが出来ればと願っていたものでした。先生にお願いすると、実は某出版社のベテラン編集者がいずれ本に、という話で原稿もそのYさんの手に渡っているとのこと、が、まだ取りかかっている様子はないので、伺ってみましょうと言って下さいました。するとYさんから、諸事情で今すぐ着手出来ないでいますが、そういうお話でしたら、紅書房の編集者と面談の上原稿をお譲りするかどうか決めたい、というご返事で、先生立会いの下、原稿をお渡し頂いた、といういきさつを経て出来上がったことも忘れ難い思い出です。 |
1996年 | 1996年10月、10年過ごしたワンルームの事務所が手狭になり、同じ町内の5丁目に1LDKの手頃な中古マンションを見つけ移転しました。地下鉄丸の内線新大塚駅から2、3分の地ながら静かな環境で落ち着く場所。お隣には大きなお屋敷があり、後で仏文学者の鈴木信太郎先生のお宅だと判り、以後、かの伝説的な書庫を見上げながら前を通っている日常です。 翌年秦恒平(はたこうへい)先生(1935−)の2冊目の本『猿の遠景』を出版。美術関係の本は、挫折美術史学徒の果てせぬ夢を追うがごとく、力と心を籠めて制作致しました。 1996年、書房の設立当初より応援して下さった上村占魚先生が亡くなられます。遺句集『玄妙』出版。この年出版点数は100点を超えました。 |
1997年 | 1997年『花過ぎ』がきっかけで親交が生まれた室生朝子先生(1923−2002)(犀星の長女)の随筆集『鯛の鯛』が浅沼剛氏の洒落た装幀で出来上がりました。朝子先生には姪で養女になさった洲々子さんと犀星の墓参りにご一緒したり、犀星の会へお招き頂いたり、文人の家の香りをしばし味わいました。 |
1998年 | 1998年、俳人石寒太先生(1943−)と談話中、師・加藤楸邨についての一冊を書き下ろしで出して下さることになり、以後毎月1章ないし2章ずつ書きたての原稿を受け取る醍醐味を味わい『わがこころの加藤楸邨』が完成しました。 |
2000年 | 2000年、室生朝子先生のご縁で知り合った犀星研究者の星野晃一先生が『犀星 句中游泳』で、犀星の俳句を中心に大変興味深い考察をくり広げて下さいました。装幀には犀星自筆の蜻蛉や魚の絵を使わせて頂きました。 |
2001年 | 2001年、俳人の矢島渚男先生(1935−)は、古典俳諧の研究にも造詣深く、それらの論を『俳句の明日へU』(Tは他社出版社既刊)として刊行。装幀には矢島先生お好みの蕪村が描く「奥の細道画巻」より、旅する芭蕉と曽良の姿を採用。好評を頂きました。 |
2002年 | 2002年、個人的なことながら、書房の仕事を陰で見守ってくれていた菊池の母が病に倒れ、9ヶ月の入院の後、自宅介護の身となりました。またその2年後には丈夫だった父に癌がみつかって半年後に亡くなりました。両親とも元気だったから仕事に邁進することが出来た有難さを痛感しました。母の介護はヘルパーさんとディサービスに随分助けられましたが、それでも仕事と介護の悩み多き日々でありました。2008年、体調を崩し母逝去。 鬼の大久保房男先生は引き続きご健筆で、文藝編集者シリーズともいえる小社の看板的な書籍を続けて上木して下さいました。2006年刊行の『終戦後文壇見聞記』は、中でも発売当初から阿川弘之氏(月刊文藝春秋「葭の髄から」)や丸谷才一氏(朝日新聞「袖のボタン」)等新聞雑誌で大きく取り上げられ、幸先よいスタートを切ることが出来ました。 |
2009年 | 2009年、室生犀星記念館の名誉館長として金沢に居を移した室生洲々子氏より、犀星誕生120年を記念して犀星の句集を考えてみて下さい、とのご依頼で、星野晃一先生に編者となって頂き、『室生犀星句集』を刊行。何か現代の鑑賞も加えたいと考え、芥川賞作家の川上弘美氏にお願いし、「隣人になりたい人」という味わいある逸文を頂戴しました。 |
2010年 | 2010年、矢島渚男先生より引き続き『俳句の明日へV』の原稿を頂きました。俳壇内外に問うべき貴重な提言の数々が含まれていて、各紙誌でも取り上げられ、手応えのある出版を喜びました。 同年11月には島林樹先生(1933−)の『公害裁判――イタイイタイ病訴訟を回想して』が刊行となりました。かつて句集『灯蛾』を小社より出版された島林先生の本職は弁護士、関わられたイタイイタイ病訴訟は1971年住民側の勝訴で世間に大きな波紋を及ぼしましたが、この裁判をふり返る意味で、2007年にNHK制作「その時歴史が動いた」で島林先生もご出演なさる番組が放映されました。改めて被害の大きさや住民の方々の痛みや苦しみを知り、その人たちを助けるために弁護団を組んで、大企業の経済優先で環境破壊には目をつぶろうとする姿勢に対し矢を放った功績の大きさを実感し、先生に感動の思い冷めぬうちに手紙をお出ししました。先生はそれをとても喜んで下さり、実は過去にも書いたものが少しあるので、記録として一冊にまとめておきたい、と語られました。私は、それらとは別に、今現在の先生の感慨を少し綴られてはいかがかと申し出ました。先生はそれから約1年半、ご自身の日記や裁判記録をもとに、400字詰原稿用紙約800枚以上の原稿を書き了えられました。それが本書の大半を占めています。小社の出版分野とは多少傾向を異にしますが、人間が人間らしく生きるという当たり前のことが犯された状況をどのように救って差し上げたかが本書に綴られてあり、感動の書です。いい仕事の手伝いが出来たことを心から嬉しく思います。 |
2011年 | 2011年は山田春生先生編集による『新編 月別 祭り俳句歳時記』の編集で明けました。よくぞこれだけの日本の祭と、それに付随した俳句を集められたものと、ここに至るまでの先生の長年のご努力に感服しました。こちらもポケット判で携帯に便利と喜ばれています。 |
2012年 | 4月には「純文学の鬼」編集長、大久保房男先生の新刊『戦前の文士と戦後の文士』が刊行となりました。今年90歳、相変わらずお元気で、打ち合わせにお会いするたびに、いろいろな作家のお話や編集者としての矜持を語って下さり、有益であるとともに、こちらの物知らずを指摘され、恥入る思いで帰路につくこともしばしばです。本書は「三田文学」連載時より、関係者の注目を受けていたもので、先生の文藝編集者ものの単行本第6冊目(小社刊5冊目)となります。既刊本は、幾つかの大型書店ではほぼバックナンバーを揃えていて下さり、本当に有難く存じます。大久保先生は著者自装でお考え下さり、荘重な雰囲気の本がこの度も出来上がりました。 また、歌人の佐佐木朋子さんが二冊目の歌集『授記』を出されました。文部科学省の依頼でヨーロッパへ赴かれたご夫君の幸綱氏に付き添われて、ご自身の歌集が出来上がる日には日本不在となりましたが、いつまでも少女のような、作者の感性に満ちた洒落た本が出来上がりました。 また、小社で歌集評論集ほかご出版頂いております金沢在住の歌人梶井重雄先生が6月12日に満百歳を迎えられる記念に、新歌集『光冠の彩』をご上梓されました。東北帝国大学でご一緒に学ばれた二歳上の幸代夫人もご病床の身ながら、出版をお喜びになられました由、金沢での百歳の祝賀を兼ねた出版パーティーへは、歌人の尾崎左永子先生と同道いたしましたが、それは賑やかな慶ばしい会でした。ご出身の旧制四校の校歌を大声で歌われたご勇姿も目に焼きついています。玄米食におかずは魚や海藻類を中心の日常のお食事、神官でもあられるので大きな声で祝詞など詞われる訓練を若いころからなさっておられ、今も背筋が伸び、発声もはっきりとして、とても百歳には思えません。まだまだ長生きされること間違いない素晴らしい先生です。 立秋が過ぎても一向に衰えない暑さの中、前年秋から編集にかかっていた『啄木の函館―実に美しき海区なり』が出来上がりました。著者の竹原三哉先生は函館に生まれ育ち、中学校の先生を定年退職された後、ボランティアとして入った函館市文学館で啄木に強く惹かれ、徐々に、函館における啄木の足跡を調査しはじめられたそうです。函館在住は僅か4ヶ月余りながら、啄木の文学や人生に函館は欠かせぬ地です。当時と現在の市内を比較しながら、啄木の詩、短歌、文章が生まれた場所を、まさに地に足の着いた調査方法で詳しく綴ってありますので、函館訪問の際には貴重な手引きとなるでしょう。かの地へ思いを馳せながらの編集は、一つの愉しみでもありました。 9月にはまず俳人の矢島渚男先生の『身辺の記U』が出来上がりました。前著『身辺の記』もその内容の豊富さ、斬新さ、味わい深さで評判でしたが、今回の本も前書にまさる対象の幅広さに、一篇一篇目が離せなくなります。ある時、矢島先生に、どうしてそのようにご自由な発想が生まれるのですか、とお尋ねすると、若い時に覚えたマルクスの言葉で「すべてを疑いなさい」という文言が頭から離れないのです、と語っていらしたのが印象深いことです。 下旬には、約4年間取組んできた尾崎左永子先生の『源氏物語随想―歌ごころ千年の旅』がようやく完成致しました。本書の土台は東京新聞夕刊に66回にわたり連載された源氏物語についての文章です。そこに新たに物語54帖に挿入されている和歌を各帖1〜4首とりあげ、歌人でもある作者ならではの鑑賞文を書き加えて頂いたものです。従って、源氏物語が歌物語であるということを一層明快にして頂き、一冊で物語のあらすじが把握できる仕組みに致しました。尾崎先生は新聞連載中にご主人を亡くされ、その後ご自身も体調を崩されるなど、ご執筆に困難な時期もございましたが、少しずつ書き溜めて下さり、紫式部が描こうとする登場人物の心理状態まで汲み取っての、大変味わい深い御文が組み込まれました。研究書以外に、源氏物語集中の和歌についてわかり易く鑑賞し、解説してくれている本はそうはないと思います。カバー絵には、徳川美術館所蔵の国宝の絵巻(柏木 三)をデザイナーの木幡朋介氏が選び、本書の物語性を充分暗示させる装幀に仕上がりました。 他にも句集、歌集の出版が相次ぎ、お陰様で忙しい年でした。 |
2013年 | 4月、俳人和知喜八先生生誕百年を記念する全句集『和知喜八全句集』刊行の計画が、愛弟子で現「響焔」主宰の山崎聰先生からもたらされました。全六句集のうち三句集を小社でお出ししているご縁から、小社にお声をかけて頂きました。昨秋より、和知先生の人生、六句集の歴史、初めてお会いした時のことなど思いながら、編集作業を進めてまいりました。読者、研究者の方が少しでも調べやすいようにと、巻末に設けました初句索引の作製に、思いのほか時間と労力がかかりましたが、どうにか「響焔」創刊55周年記念会の折の初お披露目に間に合わすことができ、ほっとしております。 8月、木下径子先生の中編小説『梅雨の晴れ間』を刊行いたしました。木下先生とは、前年11月日本ペンクラブの総会で、たまたま徳島高義先生からお引き合わせを頂きましたところから、ご縁が生まれました。自ら「街道」という文芸同人誌を発行され、長年お仲間と地道に作品発表を続けていらっしゃるお方です。すでに7冊の著書をお持ちの、ベテラン作家でいらっしゃいます。 11月には島林樹先生の『裁判を闘って――弁護士を志す若き友へ』と柏原成光先生の『友 臼井吉見と古田晁と――出版に情熱を燃やした生涯』が同時に刊行となりました。島林先生はイタイイタイ病訴訟を回想した『公害裁判――イタイイタイ病訴訟を回想して』を2010年に出版され、大きな反響を呼びました。弁護士志望の若者が減少している昨今の状況を憂い、またこれまでのご自身の活動を振り返る意味でもこの度の出版を決意されたとのことです。副題にある通り、今回の著作は法律を学ぶ学生へ向けての講演録や随想を中心とし、ご自身の過去の様々な裁判の記録がまとまったものとなりました。ご自身のお仕事への情熱と信念、誠実な姿勢が伝わってくる一書です。 柏原成光先生は筑摩書房に入社して編集者として活躍されたのち、代表取締役を務められたお方です。その後中国の大学で日本語教師をなさり、そのことを本になさるなど、多方面で活躍されています。本書は筑摩書房の創立者である古田晁とその盟友臼井吉見との長きにわたる友情の記録であり、同時に、戦前の昭和14年に産声を上げ、戦中戦後の激動期を生き抜き、名実ともに確固たる出版社となった筑摩書房の歩みを辿ったものともなっています。柏原先生の以前出版された著作を読み、感想を申し上げたことをきっかけとして、小社での刊行が実現する運びとなりました。装幀は柏原先生の筑摩書房時代からのよきお仲間、中島かほる氏が、また装画・カット・帯文は親交深い舟崎克彦氏が担当され、本書の内容を見事に表出するよき体裁に仕上がりましたこと、感謝致しております。 |
2014年 | 7月に安達静子先生の労作『海を渡った光源氏――ウェイリー、『源氏物語』と出会う』を出版。紫式部の原典とA. ウェイリーによる『源氏物語』翻訳本、また数種の現代語訳本を比較対照しながら、それぞれの特徴を浮かび上がらせ、古今東西の表現や仕来りの違いなどにも言及して、貴重な比較文学論となっています。決して派手ではありませんがこのような地道な研究調査をこつこつと長年なさった著者の意欲と力を讃えます。 7月25日、鬼の純文学編集長として畏れられた大久保房男先生が92歳で亡くなられました。小社は言い尽くせないほどの恩恵を蒙っています。後日、取次会社地方小出版流通センターの担当者、門野邦彦氏より、大久保さんのことを書いて下さい、と依頼され、小社刊の著作を紹介しながらの追悼文をアクセス10月号に執筆致しました。25年間にお出しいただきました7冊の本を今後も大切に広めていきたいと念じています。 11月、俳誌「きたごち」300号・創刊25周年記念に、主宰の柏原眠雨先生を中心に、『きたごち俳句歳時記』の刊行計画が生まれ、制作のご依頼を頂きました。季語及び傍題季語をたて、そこに示す例句を全て「きたごち」会員の句から採集するという、緻密かつ膨大な編集作業を経て、原稿完成後も綿密な校正作業が続きました。装幀は平成10年に小社刊行の柏原眠雨先生自装による第一句集『炎天』に倣い、お揃いの形で出来上がりました。「きたごち」俳句会の実力を明らかとする内容の充実ぶりです。 |
2015年 | 8月には『Kくん――ある自閉症者の生涯』が完成しました。自閉症者Kくんとの波瀾万丈の日々を、母である著者原田青さんが綴った本書には、息子さんのことを何とか理解し、彼と心を通わせようと奮闘する母親の必死の思い、苦悩、たまさかに訪れる喜びの瞬間が克明に記され、原稿を読みながら強く心を打たれました。また、Kくんや著者と周囲の人々との様々な関わりが丁寧に綴られ、障害者との共生を実現する過程で生じる課題や、社会のより良いあり方について考えさせられる出版となりました。 また、2014年から一年半をかけて編集作業を行ってきました多田曄代・星野晃一編による『多田不二来簡集』がついに刊行となりました。多田不二氏のご遺族であるご次女の曄代(てるよ)様は愛媛県松山市在住、不二宛ての貴重な書簡類は故郷の茨城県結城市にあるという状況で、編集期間中はほぼ毎週結城市に通い、膨大な資料の整理、分類、編集に追われる日々でした。星野先生の緻密なご研究と古文書研究を専門とする方などを含む刊行会の方々の尽力の成果をこのような形で世に問うことができましたことは、望外の喜びです。 さらに月末には哲学者にして俳人の柏原眠雨先生の評論『風雲月露――俳句の基本を大切に』を出版しました。柏原先生が主宰されている俳誌「きたごち」誌上で連載された随感「風雲月露」を一冊の書物にまとめたもので、哲学の知見を交えての、独自の俳句論が展開されています。約一か月後に出版されました柏原先生の第四句集『夕雲雀』が第55回俳人協会賞を受賞されました。尊敬する先生の永年のご活動に対する栄誉として大変嬉しく感じております。 10月には妖精学の第一人者である井村君江先生による『私の万華鏡――文人たちとの一期一会』が刊行されました。井村先生との出会いはある個展で初めてお目にかかった方より託された原稿から始まったもので、偶然の賜物と言っても過言ではなく、これも妖精が運んできたご縁かしらとも思います。12月には東京駅前の八重洲ブックセンター本店にて刊行記念として井村先生の講演会・サイン会を開催いたしました。講演は〈「生きること」と「理解すること」〉と題され、人生における学問の意義、ジェンダー、明治期以降の女性文学史、今後の日本文学・文化の方向性など多岐に渡る話題に及びました。大勢のお客様にご来場いただきましてありがとうございました。80歳を超えてなお精力的に執筆活動を行い、文学研究・妖精研究に情熱を傾ける井村先生は、ご自身も妖精のようでいつお目にかかっても若々しく、前向きなエネルギーに圧倒されます。これからの実り多いご活躍を心より願っております。 |
2016年 | 4月29日、弁護士にして俳人でもあられた島林樹先生がお亡くなりになりました。小社では二冊の句集『灯蛾』、『えごの花』、及び島林先生が関ってこられたイタイイタイ病訴訟をはじめとするドキュメント『公害裁判――イタイイタイ病訴訟を回想して』、『裁判を闘って――弁護士を志す若き友へ』を刊行して頂きました。どちらも関わられた様々な事件に対し、著者の正義をもって弱者の思いを汲みとり、真実の追及に邁進された様子が伝わって来るご著書です。保険金訴訟に焦点を当てた『不正請求と闘って』を刊行予定で準備中のご逝去でした。弁護士というご自身のご職業に真摯に向き合ってこられた先生のご著書を書房の宝物として大切に致し、ご冥福をお祈り申し上げます。『裁判を闘って』は、2016年度も大学の法律を学ぶ学生のレポートの課題に選定されるなど、これから法律や司法の世界にはばたいていく若い人々にも読まれています。今後もそうあってほしいと希っております。 その他第二句集『八雲たつ』、句集『藍甕』、句集『トランス★フォルム』、歌集『寒あやめ』を刊行いたしました。いずれの著作も著者の個性が表れた読みごたえあるものとなっています。 更に、ご縁がありまして、古典文学や京都関係の著書を多数お持ちの松本章男先生の和歌のアンソロジーを小社で、というお話を頂きました。書下ろしの原稿、一冊分200字詰原稿用紙800枚を超える分量で、しかも二冊同時進行という大きな仕事に緊張するとともに、既刊のご著書に見合うような本造りを心がけ、少し長期の仕事として作業を続けておりました。相聞歌を中心に選ばれた和歌に見事な鑑賞と解説を付した一冊を『恋うた 百歌繚乱』、「雑」の部より選ばれた、人の生死や世の中の移り変わりなどに関する和歌に、味わい深い鑑賞と解説を添えた一冊を『心うた 百歌清韻』と名付け、2017年3月ようやく刊行の運びとなりました。この魅力的なご著書を一層広めていきたいと願っております。 |
2017年 | 年明け早々、書房の倉庫の引越作業がありました。新倉庫の場所はゆかしさ漂う文京区湯島です。今まで自宅裏の倉庫に入れていたものを整理しながら運び込む作業は、総勢7名で何とか1日で終了することが出来ました。つくづく本の重さを、またささやかながら32年間の書房の歴史を感じた1日でした。 1月に刊行した倉田明彦氏の句集『青羊歯』が9月に《信州さらしな・おばすて観月祭 全国俳句大会》で【第二回 姨捨俳句大賞】を受賞されました。「加藤楸邨に連なる人間探求派の正統的な流れを汲む、明日の俳句を切り開く成果としての句集」と高い評価をいただきました。倉田明彦氏は長崎で本業の医業の傍ら句作に励み、第一句集にしてこのような素晴らしい成果を上げられたことを心より御祝申し上げます。これを機に再版を致しました。 3月には前年から取組んでおりました松本章男先生のご著書、和歌秀詠アンソロジー『恋うた 百歌繚乱』『心うた 百歌清韻』の二冊を同時刊行いたしました。万葉から江戸末期までの古今の和歌が相聞、夢、命、黒髪、別れなどのトピックごとにまとめられており、松本章男先生の味わい深い鑑賞文により、いにしえびとの息遣いや情感がただよう、充実した内容の読み応えある二書となりました。是非お手に取ってご覧ください。 8月、三間由紀子氏による詩集『手紙』を刊行。表紙カバーにはもみ紙に新郷笙子氏の墨絵を配し、中扉は便箋をモティーフに、美しく洒脱な装幀の小冊となりました。著者にも大層お喜び頂けたことを嬉しく存じております。三間氏の詩は、師匠サトウハチロー譲りの、やさしく温かな語りかけに心和むものばかりです。 11月、川嶋悦子氏による第一句集『カフカの城』を刊行いたしました。本書には川嶋悦子氏ご所属の結社「響焔」の主宰山崎聰氏よりの温かな激励のご文章を賜っています。「天性の言葉の魔術師、いや根っからのロマンティスト」とその個性を特徴づける山崎主宰の言葉通り、お洒落でキラキラした感覚に満ちた句集です。 同じく11月、石寒太先生主宰の俳誌「炎環」30周年を記念し、第七句集『風韻』を刊行。続いて本書を第1巻とする炎環叢書の刊行が始まりました。同月第4巻まで発売中、それぞれ気鋭の作家による力作です。 |
2018年 | 1月は「炎環」主宰石寒太先生の句集『風韻』及び、炎環叢書として、伊藤航さんの句集『縁(えにし)』、常盤優さんの句集『いきものの息』、竹内洋平さんの句集『f字孔』の刊行が相次ぎました。これは炎環創刊30年を記念しての出版で、会が益々発展充実している証として、それ以前の「無門」時代から存じ上げている者としては大変喜ばしく感じています。 また3月には、奥田杏牛先生の新句集『箇中箇』が刊行となりました。奥田先生は大病後もお辛い中を俳誌「阿良多麻」を継続されていましたが、これ以上は続けられない、と遂に廃誌になさり、今回はその失意の中、孤独や寂寥感と闘いながらの詠574句を見事に一本にまとめられました。小社では著者6冊目の句集です。 4月に刊行の米山海彦さんの句集『君の春』には数年前に不治の病で亡くなられた奥様への深い哀悼と感謝の気持ちが充満しています。その思いを、先師上村占魚先生の教え「徹底写生・創意工夫」を守り実践しつつ詠んだ、読み応えのある句の数々です。 |
2019年 | 4月に歌人柳川雅子さんの歌集『命ありて今日』を刊行いたしました。このタイトルからも想像できるように、昭和20年8月、長崎への原爆投下に遭われていらっしゃるお方です。今は大変お元気ですが、当時は工場で大怪我をし、また一時は体調にも影響が出て、お辛い数年を過ごされたと伺います。『雅子斃れず』の著書が、戦後はじめての原爆体験記として世に知られた著者でもあります。
27年前より『鉄幹晶子全集』全45巻が勉誠出版より出版され続けています。その責任編集を担っているのが、日本近代文学女性研究者の草分け的存在である逸見久美先生。その生い立ちから、研究上で遭った様々のことどもを綴った本が、『想い出すままに――与謝野鉄幹、晶子研究にかけた人生』として、5月の晶子忌を記念して誕生しました。小社でも3年ほどを要した労作です。巻末に著者の詳細な書誌や評価も収録され、一研究家の辿ってきた道筋が明らかです。現在94歳の今も、鉄幹・晶子の研究調査に余念なきお暮らしで、その熱意の強さには敬服するばかりです。 |
2020年 | 2020年春、コロナ感染症問題が発生し、外出が制限されるなど世の中全体が重い空気に包まれるなか、以前より一本の企画本の監修、編集をお願いしておりました秋山稔先生から、懸案の『泉鏡花俳句集』の原稿が今年の夏くらいにはまとまりそうです、という朗報が届きました。まさに暗雲の中からひとすじの光が顔を出す思いでした。 本書の企画のもとには、小社既刊本『室生犀星句集』があり、続けて文人俳句の流れをくむ句集を作ることが出来ないかという思いからでした。たまたま犀星も泉鏡花も同じ金沢出身ということもあり、犀星句集制作のきっかけをくださり、また制作時には何かとご協力くださいました犀星のご令孫、室生洲々子さまにご相談いたしましたら、泉鏡花記念館館長で鏡花研究者でいらっしゃる秋山稔先生をご紹介いただきましたご縁によるものです。 秋山稔先生は、記念館館長という要職のお立場から鏡花のご遺族ともご交流があり、本句集編集に際しましても、鏡花自身が書いた句会の記録や添削の控え、書簡類など、全集に入っていない句や草稿の毛筆文字も読み解かれながら、原稿を作成してくださいました。そのご労苦が結集され、全544句からなる『泉鏡花俳句集』が11月4日、鏡花147年目の生誕日に完成いたしました。 泉鏡花俳句集にふさわしいあしらいを、と木幡朋介先生に装画装幀全般を依頼、本文中には異体句や初出なども掲載して資料的な価値も含む内容にし、初句五十音索引にも工夫をこらしました。また、詩人の高橋順子先生には、鏡花俳句についてご自由にご鑑賞いただき、独自の感性により、句の読み解きを創造性ゆたかに表現していただきました。亡きご主人、車谷長吉氏との二人句会のお話なども興味深いものがあります。 そして毎度のことながら、長らくおつき合いのあるそれぞれの技術にたけた組版、印刷、製本作業に携わってくださる方々の念入りな仕事のお陰で、瀟洒な『泉鏡花俳句集』が誕生いたしました。いまは、読者、識者のみなさまがどのようにご覧くださいますか、その反応をひそかに心待ちにしているところです。 ほぼ同時に、今年94歳になられます逸見久美先生の第5歌集『明星探求』も出来上がりました。与謝野寛・晶子研究者の先駆けとして、全国をまわって揮毫や書簡をたずね調べられた努力やご苦心のほども本書に詠まれています。まだ女性が社会で活躍することが少なかった時代から、信念を貫いて研究一途に生きていらしたお姿には敬服するばかりです。 また、炎環叢書にて、こがわけんじ句集『澄める夜』、市ノ瀬遙句集『無用』、万木一幹句集『訪ふ』も出来上がりました。あわせてよろしくお願いいたします。 |
2021年 | コロナ禍の続くなか、句集刊行を希望されていた方が、こんな状況なので今は控え、世の中が落ち着いたら出すことにします、というお断りのお申し出を伺い、致し方ないこととは言え、今まで経験したことのないコロナパンデミックがこんなに早く身近に影響を及ぼすことに版元として落胆の思いひとしおでした。 そんな中、奥田杏牛先生の第十句集『白露』を刊行いたしました。小社では7冊目の句集です。長らく住まわれた小金井のご自宅から立川のホームに入られ、その環境の変化を挿む4年間の諷詠は、新たなご心境を投影するものとなっています。 また、句集『青羊歯』で第二回姨捨俳句大賞をご受賞された倉田明彦先生が、俳誌「梟」に連載されたご文章にさらに新たに書き加え、『私的長崎風土記』として4月に一本にいたしました。著者が語る長崎という風土の特異性をどうお伝えしたらよいかと考えながらの制作でした。 そして11月には京都の作家、松本章男先生の自ら読まれた短歌を『じんべゑざめの歌』として刊行いたしました。著者の初歌集です。小社刊の『恋うた―百歌繚乱』『心うたー百歌清韻』に見る通り、和歌、短歌、古典文学に精通した著者ならではの表現、視点を学ばせていただきました。 |
2022年 | 俳人・矢島渚男先生による俳人・高浜虚子に関するご文章を一本に、というお話がようやく実現する運びとなり、『虚子点描』が出来上がりました。内容は、俳誌「梟」の長年にわたる連載をもとに、その後もさらに推敲を重ね、虚子の句を作られた年代順に並べ替え、この一冊で虚子の生涯がたどれる構成に組み立てられてあります。校正作業中は、明治時代の雑誌や新聞、書籍などの調査や確認のため国会図書館や俳句文学館に行く予定をたてましたが、コロナ禍により、予めネットで予約を入れ、許可が下りた人数しか入館できない状況で、かつてない不自由さを感じる事態に改めて普通であることの大切さをしみじみ感じる次第でした。本書は先人たちが綴った虚子像を敬いつつ、著者ならではの斬新な解釈が盛り込まれ、今後高浜虚子に興味を持つ方に欠かせない鑑賞の手引きとなることと確信をもって出版いたしました。手掛けてから約7カ月後の2022年1月刊行、俳壇のみならず、新聞書評欄などでも多く取り上げられ、有難い反応を頂いております。 小社で長年のご指導を頂いております室生犀星研究者・星野晃一先生が、犀星のご長女室生朝子先生没後20年となることを期に朝子先生のことを一本にして出版なさりたいというご希望をお伺いしました。内容は、犀星が朝子先生をモデルに書いた名著『杏っ子』を中心に、さまざまな背景やいままで見過ごされてきたことなど、細やかに探られたお原稿でその重厚さに圧倒されました。発売当時は一世を風靡した『杏っ子』ですが、60年以上前のベストセラーを知らない若い世代の読者のことも考え、『杏っ子』の内容紹介なども加味して頂き、出来上がりましたのが、『「杏っ子」ものがたり 犀星とその娘・朝子』です。現在金沢にある「室生犀星記念館」の名誉館長であり、朝子先生のお嬢さまであられます室生洲々子氏も本書の刊行を大変喜んでくださいました。 |
2023年 | 犀星関係が続きますが、同じく星野晃一先生に14年前に編集して頂き、刊行以来好評でした『室生犀星句集』の残部がなくなりましたので、星野先生のご考案で新たに生前犀星が編んだ4冊の句集の序文を加え、また掲載句の全索引を加えるなど内容の充実をはかり、『室生犀星句集 改訂版』として5月に刊行いたしました。 7月から9月には、稲垣妙子氏の歌集『歳月を積む』、沢野唯志氏の第二歌集『朝陽』、奥田杏牛先生の第十一句集『あめつち』および山本泰子氏の句集『讃歌』、山本洋子氏の歌集『天満の子守唄』の刊行が相次ぎました。それぞれ著者の諷詠や個性を重んじながら本作りに工夫を重ね、著者のご納得いただけますおもむきある歌集をお作りすることが出来ました。 |
2024年 | 一年以上前から準備しておりました『与謝野鉄幹(寛)・晶子作品集 小説・随筆・研究』が、逸見久美先生をはじめとする4人の与謝野文学研究者の編集によってようやく刊行となりました。与謝野夫妻の全集に入るべくして入れられなかった貴重な文の数々がここに収録され、夫妻の文学の味わいを披露することが出来ました。 6月には松本章男先生の『花あはれ 和歌千年を詠みつがれて』を刊行いたしました。国歌大鑑を何度もくまなく読み込まれたという著者ならではの、草木花にまつわる和歌をわかり易く語っていただく読み易い和歌鑑賞本です。表紙カバーには、内容にふさわしい格調をと、東京国立博物館所蔵の「西行蒔絵硯箱」を選び、それをデザイナーの木幡朋介先生が、西行が花見に行く姿を浮き上がらせて素敵に仕上げてくださいました。 小社の39年の歩みを、いくつかの本の出版の流れに添って綴ってみました。ここに全て記することはできませんが、これ以外にも、一冊一冊どの本にも様々な思い出がまとわりついています。著者の皆さま、本当に有難うございます。そしてこれからもどうぞよろしくお願いいたします。本は著者と編集者がいただけでは出来上がって来ません。助けて頂いた組版の方、印刷所、製本所、製函所、箔屋さんや紙屋さん、布クロス屋さん、校正者、デザイナー、取次の方々、本屋さん、数えあげたらきりがない位、多くの方々のお世話になっています。深く感謝申し上げます。 |